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あらゆる音楽が過剰なまでにあふれる現代において、クラシック音楽の感動をどう文字で表現するのか。しかも、その表現をどうすれば、なるべく多くの人に伝えることができるのか。クラシック音楽の魅力を小説という形で伝えようとする意欲作が、この小説「蜜蜂と遠雷」だ。

クラシックピアニストの重鎮ユウジ=ホフマンの密かなる教え子風間塵。元天才少女としてデビューするも母の死後表舞台から去ってしまう栄伝亜夜。そして、亜夜の幼なじみであり、日系クオーターでラテンアメリカ出身、現在はジュリアード音楽院に通うクラシック界のエリート、マサル・カルロス。

この 3 人の演奏を中心に、芳ヶ江国際ピアノコンクールは進んでいく。

物語を面白くさせるのは、まずはなんといってもはちゃめちゃな野生児、風間塵という存在。彼の為すことすべて、クラシック音楽界の常識からはかけ離れているが、天性の耳の良さとピアノの腕前で、時には人によって嫌悪感を募らせるほどの圧倒的なパフォーマンスを見せる。彼の存在が他のコンテスタントをも刺激し、コンクールそのものを面白くしていく。栄伝亜夜は、母の死のあと突然引退するというつらい過去を背負ったドラマチックな天才。数年ぶりのコンクールへの葛藤はあるものの、その過去ゆえに、より重厚な音を鳴らすことになる。そして、王道と評されるマサル。エリートであり正統派であるが、彼の演奏がつまらないわけではなく、ジャズにも触れているという経歴にあるとおり、よく考えられ趣向を凝らした演奏をみせる。この 3 人の演奏を、作者は言葉を駆使してなんとか表現しきってみせる。活字を目で追いながら、一体どんな演奏なのだろうかと、脳内で音に変換して、空想のコンクールを楽しんでみるというのが、音楽ファンにとってはなによりこの小説の楽しみとなる。

それぞれ将来への不安を感じながらも、今目の前にある課題をこなしていくコンテスタントたちのひたむきな姿に感動を覚えた。とくに、個人的には真面目であり人がよく好奇心旺盛なマサルの描写に、心惹かれる。人としてはぼくよりもよっぽどできているが、亜夜に恋してまったり、現代ではほぼ絶滅してしまった作曲もこなす演奏家になりたいという野望を持っていたりする若さに、嫉妬を覚える。

小説の技巧的には、この 3 人に加えて、コンテスタントとして 28 歳の子持ち仕事持ちピアニスト高島明石、審査員として、マサルの師匠であるナサニエル=シルヴァーバーグ、ナサニエルの元伴侶であり亜夜と同じくかつて天才少女であった相模三枝子を配置したことで、人間関係に厚味が出ている。単なる音楽の神童たちの青春ストーリーにならないのが彼らオトナの存在だろう。

作中に登場する曲はほとんどが超有名曲だが、ときに味のある選曲もあり、リスニングレパートリーを拡大してくれそうだ。面白いと思ったのが、スカルラッティ「ソナタ集」、サン=サーンス「アフリカ」、プロコフィエフ「ピアノ協奏曲 2 番」「ピアノ協奏曲 3 番」など。

作中のテーマとも言えるのが、風間塵の起こそうとする音楽革命で、狭い箱から音楽を自然の中へと連れ出すというもの。生け花が、自然に生きるものを殺すことによって生を表現するという矛盾を指摘しながら、音楽もまた自然の音を人工的にアレンジした「曲」をいうものを、もう一度自然に戻そうとする点で共通であるという。たしかに、ぼくらが日々接している音楽の感動の起源は、自然の音にあるだろう。制度化された音楽ではなく、もっと心の底から魂が震える音をききたい。小説をよみながら、こんなに音を求めることもなかなかない。

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