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10年後の楽しみをありありと思い浮かべることができたことなど、これまで一度もなかったと思う。今を生きる、といえば、映画のタイトルのようでかっこよくきこえるけれど、本当はただ目の前のことに追われていて、未来のことにまで想像力を働かせることがどうしてもできなかったのだ。

しかし、娘ができて、彼女の成長に3年も寄り添っていると、人生の尺度が一気に縮まった。自分が年を重ねてきたように、娘が大人になっていく姿を思い浮かべることは、難しいことではなくなった。彼女は、いまはまだ3歳だが、しっかり自分の意見をもち、こだわりを主張する。その言動をみていると、まるで自分と同じなので、おかしい。顔がうり二つなのは愛嬌だとして、性格まで似てくると、もはや彼女の人生も自分の人生の一部のように思えてくる。いままで一人で楽しんだこと、夫婦二人で楽しんだことに、娘も一緒に加わってほしい。旅をすること、調理し一緒に食べること、キャッチボールやテニスなどのスポーツもよさそうだ。

今はまだ3歳の女の子としてやるべきことがたくさんあり、毎日懸命に新しいことを吸収している姿をみているが、これから先の姿を想像するたび、その成長が待ちきれなくなってしまう。

なにより、一番心待ちにしているのが、読書熱が旺盛になった頃に一緒に図書館にいき、それぞれ本を読みあって、感想を共有しあう時間だ。まさに本を読み終わった直後、まだ物語の世界から意識が十分に戻らないうちに、その心の中にある感動を一緒に分かち合いたい。わたしが子どもだった頃にわくわくした冒険物語を娘もわくわくして読むだろうか。いずれ娘が先に読んだ本をわたしにも読んでと薦めてくれるだろうか。愛や勇気に満ちた物語だけではなく、戦争の話、悪人の話、救われなかった善人の話、祈りや後悔の話、奴隷や差別の話、この世の中にあるものはすべて物語の中にもある。今まで知らなかった世界の姿を学ぶとき、娘はどんな面持ちをするだろう。

この世はパラダイスではない。ひどいトラブルに巻き込まれることもある。誰かに騙されて散々な目に遭わされることもあるかもしれない。

「でも、この世の中は、そんなに悪い場所でもない。嬉しいこと、悲しいことも、言葉にすれば、必ず誰かと分かち合えるから」

娘が本を読んで目をはらはらさせているときに、こんな風に話しかけたいと思う。そして、その時胸の内に渦巻いている感動を口にするのを聞いてやりたい。本から受け取った複雑な感情をなんとか言語化して伝えようとするのを見届けたい。わたしは、この瞬間こそが、人間の孵化なのだと思う。

これがわたしの10年後の楽しみである。

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